こんにちは。CRAZYの池田です。
以前のコラム『CRAZY新卒3年目、自分の恋愛から学ぶ「愛のこと」』のタイトル通り、現在入社3年目に突入している私ですが、最近は日常業務の中で後輩と一緒にしごとをする機会も増えてきました。
本記事では、そんな私が最近、後輩の新しい業務をサポートしていた時に得た気づきをシェアしたいと思っています。
この気づきが、みなさまにとっても人を育むこと(=「愛すること」のひとつの具体的な形)について、一歩踏み込んで考えられる機会になりますと幸いです。
「教える」スキルを身につけた、学生時代
私は、「人に教える」ということが苦手でした。
それを自覚したのは、大学時代。
約80人の学生を束ねる立場になり、研修やマニュアルをつくったり講座を開いたり、1on1をしたりする中で、「どうしたらみんなができるようになるのか分からない」という壁に直面しました。
四苦八苦する毎日の中で、先輩からもらったのは、
「自分がもっと努力しろ。感覚を言語化して、1から10の「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10」全てを説明できるようにしなさい。それが何かを教えるための基本だから。」
という言葉でした。
どちらかというと感覚派の私は、その言葉に抵抗を感じました。
しかし、「ひとりでものをつくる」ために必要なことと「誰かと一緒に事を成す」ために必要なことは違うのかもしれないと思い、この状況を突破すべく取り組んでいくことにしました。
結果、みるみるうちに成果がでました。
何かを伝えている時の、相手の反応が全く違いました。
人は新しいことができるようになると、こんなにも目が輝くんだと感動したことを、今でも鮮明に覚えています。
私は、「私のために」教えていた
そのおかげで、誰かに教えることへの苦手意識はなくなりました。
説明が「分かりやすい」と言われることも格段に増えました。
そんな私にまた、「教える」機会がやってきます。
新卒1年目メンバー、初めてのプロジェクトマネジメント。
キックオフを行い、タスクの分解・期日設定・担当設定に並走。プロジェクトに関する全てのコミュニケーションにグループチャットで入りました。
さらに、先回りしてリスクになるものを潰したり、認識齟齬の生まれそうなコミュニケーションはフォローを入れたり・・・と、彼女がゴールまで確実に進んでいけるよう、妥協なくサポートしました。
順調に進んでいると安心していたプロジェクト中盤のある夜、1日の振り返りをしている時に、私はショックな事実に気づきます。
それは、「私はこれを、自分のためにやっていた」ということ。
私はそのサポートを、(自分が)「失敗させないため」にやっていたのです。
愛のないスキルは役に立たない
「教える」ということは、「その人の生命の可能性を誰よりも信じ、その可能性を引き出すこと」であると考えています。
しかし私は今回、「教える」という名目で(着実なサポートを行い)、自分のための恐れ(失敗)の回避をしていたのです。
本来私が果たすべきことは、「失敗しないお膳立て」ではなく「思いっきり失敗できる土壌づくり」でした。
自分の多少の恐れなんて放りだして、圧倒的なエネルギーで彼女の生命の可能性を信じ、関わる。そうすることで彼女は、単なるスキル以上の何かを得ることができるようになるのだと思います。
そして、その「何か」が彼女の人生にとって、非常に有意義なものになるのです。
私自身が本当の愛を持った諸先輩方からそうやって、「大切な何か」を教えていただいて、育ってきました。
教えるためのスキルがどれだけ実用的であろうと、愛する能力が伴わなければ、本質的な成長には何の役にも立たない。
自戒の念を込めて、ストレートに残しておきたいと思います。
きっと皆さんの周りにもお客様や生徒、子どもやメンバー、取引先等「教える」機会は日常に溢れていると思います。
あなたは目の前の「育てる」にどう向き合っていますか?
そこにはどんな「愛」を込めていますか?
ぜひ聞かせてください。
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執筆・編集:池田瑞姫
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バナー画像撮影:石積真理恵
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vol.2『CRAZY新卒3年目、自分の恋愛から学ぶ「愛のこと」』
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vol.4『私は、「人生の難易度を上げるために」結婚したい』
vol.5『お母さん、離れてくれてありがとう』
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