「結婚しよう。」
先輩として尊敬する、友人として大好きな人から、突然言われた一言。
所謂、恋人や特定のパートナーという間柄ではないその人からの一言に、驚きを隠せない私。
自分と結婚の間にはまだまだ距離感があると思っていた私は、その日からしばらく、頭を捻らせることになります。
本記事では、私が「結婚」を真正面から問われた時に感じたことのシェアを通して、みなさまにとっての「結婚とは?」「特定の誰かと生きていくとは?」を考える機会にできればと思っています。
「私はどう生きていきたいのか?」
落ち着いて話す彼とは対照的に、私の頭の中には「?」がたくさん浮かび、「なんで?」「どうして?」と質問をし続けていました。
その時、たくさんの「?」を全て一蹴するように彼が放ったのは、
「俺がどう思ったかは考えなくていいから、自分の人生を考えた時に俺と一緒に生きていくのが良いのかどうかを考えて。」
という一言でした。
「いやいや突然そんなこと言われたら気になることいっぱいあるでしょ!」という気持ちを抑えて冷静に考えてみると、この言葉がやけに腑に落ちてきた感覚を今でも覚えています。
「結婚」という一言に、私は相手のことばかり考えていました。
「この人と何を目指していくのか?/目指していくことができるのか?」
「この人とどうやって一緒に生きていくのか?/生きていくことができるのか?」
「この人とどう愛し合っていくのか?/愛し合うことができるのか?」
「この人とうまくいくのか?」なんてことまで考え始めると、思考は尽きません。
でも違ったのです。
その前に、私(個人)の人生がありました。
「私は何を信じているのか?」
「私は何を大切にしたいのか?」
「私は何をしていきたいのか?」
「私はどう生きていきたいのか?」
という自分の存在に対する回答なしに、
「私は誰と生きていくのか?」
なんて、決められっこないということに気づきました。
「ゆっくり考えてくれたらいい。」と言って彼がくれた時間は、ひたすらに「私はどう生きていくのか?」を、これまでとはまた違ったレベルで考える機会になりました。
私の人生にとって素晴らしい機会を与えてくれたことを、心から感謝しています。
「愛している」を保証するのは、意志である
誰かを愛するというのは、たんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。もし愛が単なる感情にすぎないとしたら、「あなたを永遠に愛します」という約束にはなんの根拠もないことになる
引用:エーリッヒ・フロム著, 鈴木晶訳(2020), 愛するということ, 株式会社紀伊國屋書店
自著「愛するということ」の中で、フロムはそう残しています。
「愛する」というのは、感情ではなく、決意である。
つまり、愛するという状態を保証するのは、今ここにある感情ではなく、意志であると。
「結婚◯周年というけれど、私はそんなに長い間愛し続けられる人と出会えるのだろうか。想像できなすぎる(軽い絶望)。」
なんて思ったこともあります。
しかし、「愛している」という気持ちが空から降ってくるなんてことはなく、「この人を愛し続ける」という自らの決意が、愛し続けられる裏付けになると言われれば納得がつくのです。
そう考えると相手をどれだけ好きかということではなく、愛し続けられる信頼が自分にあるかということが最も重要であり、結局のところ、相手ではなくて自分への信頼の話であることに気付かされます。
私たちにはよく、恋愛をして大人になっていけば自ずと誰かを愛せるようになるという思い込みがあります。私自身も長い間そう思っていました。
確かに、「好き」という一時的な気持ちは、大抵の場合自ずと得られるようになります。しかし、自分への信頼(=自信)は勝手に得られるものではなく、日々の言動の中で築き上げていくしかありません。
愛だけは特別!なんてことはなく、スポーツやビジネスと同じように修練が必要なんですね。
意志をもって「愛する」。
人生を通してチャレンジするに値する、素敵な挑戦だと私は思っています。
あなたは大切な人を、どういう風に愛していきますか?
引用:エーリッヒ・フロム著, 鈴木晶訳(2020), 愛するということ, 株式会社紀伊國屋書店
執筆・編集:池田瑞姫
バナーデザイン:東和香
バナー画像撮影:石積真理恵
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vol.1『パートナーシップは世界は救う?!』
vol.2『CRAZY新卒3年目、自分の恋愛から学ぶ「愛のこと」』
vol.3『パートナーシップを更新するだけで、幸福度が上がる?!』
vol.4『私は、「人生の難易度を上げるために」結婚したい』
vol.5『お母さん、離れてくれてありがとう』