2017.11.28

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就職・転職ではない、 どう生きるのかの先にあった決断。

CRAZYは多角経営を進めているが、CRAZY WEDDINGという一生に一度の結婚式をプロデュースするメイン事業で知られている。プロデューサーにディレクター、コンセプターにコーディネーター、ブランドプレゼンテーター(*1)。ひとつの結婚式が出来上がるまでには、数多くのスタッフがかかわるが、そのスタッフの多くが女性であることもまた事実だ。その中で、ひときわ存在感を放つ男性陣に迫るスペシャルインタビュー。「なぜCRAZYでウエディングの仕事を?」というシンプルな疑問からスタートし見えてきた、CRAZYで働く本質とは。

プロフィール
松田佳大(Yoshihiro Matsuda)
神戸大学出身。新卒でリクルートエージェント(現社名:リクルートキャリア)へ入社。入社4年目には、採用コンサルタントとして、大手クライアントを担当する社内の大手企業担当部署へ異動。その後学生時代から続けていたアカペラ「グラコロン」等の活動を通して、人生を懸けて達成したいことは「心が震えるほど感動が渦巻く空間を創ることだ」という強い想いに出会い、2016年4月にCRAZYに入社。

独占インタビューはこちら:仕事と趣味を分けない生き方とは?

乾将豪(Masatoshi Inui)
2014年に新卒1期生としてまだ創業間もないCRAZYに入社。初の男性ウェディングプロデューサーとして多くの結婚式を手がける。その後、新規事業である個展形式の結婚式GALLERY WEDDINGの立ち上げに参画。「人の可能性を広げ、誰もが輝ける世界をつくる」という想いのもと、現在は営業チームにて過去最多の功績を残しトップセールスとして活躍中。

髙橋智也(Tomoya Takahashi)
横浜市立大学出身。2015年に新卒2期生としてCRAZYに入社。学生時代は多くの学生団体の活動に携わる。入社後は男性ウェディングプロデューサーとして結婚式を手がけながら、営業チームにも同籍。「世の中の可能性にチャレンジし続ける人間であること」を胸に、現在は新卒入社唯一のプロデューサーとしてお客様にも可能性を提示し、新たな一歩を踏み出すきっかけづくりをしている。

リクルートキャリアでの活躍の先にあった、どう生きるかという葛藤。

-松田さんは中途入社だとおうかがいしましたが、なぜCRAZYへ転職したのですか。

松田佳大(以下、松田):もともと、リクルートキャリアという会社に新卒で入社しました。優秀な人材は全体の2割という意味で、2:6:2の法則なんて言いますが、必ずその2割の人材であろうと決めて、思い切り働いていましたね。1年目のときに、全社のMVPをもらったりして、手応えのある成果も出せて、順調な社会人生活のはじまりでした。僕は入社以来ずっと関西にいたんですが、4年目に社内の転職制度を使って東京に異動をしました。社内でも花形と言われていた、従業員規模が数万人という超大手企業を担当するチームに配属になって。変わらず楽しく忙しく仕事をしていたんですが、その3ヶ月後には辞めますと伝えていました。

そのあたりが、CRAZYに入社した理由にもなるんですが、本社のある東京の組織は縦割りで、努力を続けた先にある未来が見えてしまったんです。頑張ってマネージャーになって、部長になって…。関西は支社なので、組織の全体像というのは見えにくくて、仕事に没頭していたけど、東京に来た瞬間ひとりひとりの意思が見えず、どこか下を向いて歩いているように感じてしまったんです。また、売れる人は一握りで、売れない人はうつむいて出社・退社していて…。

一方僕は大学時代からずっと歌を歌っていて(2011年 フジテレビ系列番組「ハモネプリーグ」優勝)。歌ってるときの幸福感を分かっているからこそ、1日の大半を割いている仕事の時間を考えると、人生を味わう上で使うべき時間の割合が、逆転してしまってるように思えていました。

営業として何千社と見てきたけれど、今の会社を辞めてまで行きたいと思える会社もありませんでした。「仕事でも幸せになるためには、ここで働くべきではないことはわかっている、でもどこでという先があるわけでもない」。そう思いながら毎日を過ごす中で、何気なくCRAZYが出していたWantedlyの記事が目に入ったんです。

仕事とプライベートは切り離すことはできない。なぜならそれらすべてが自分の人生だから。仕事を選ぶというよりも自分の人生をどう生きていくのかを考えていたときでした。『仕事とは「LIFE」だと言い切れる方募集』と書かれたCRAZYの記事を見て、これだと思いました。CRAZYという会社のことは何も知らなかったし、ウエディングというテーマにも興味はなかったけど、心が動いて、応募しようと思いました。ただ、自分としては転職活動をしていると意識はなくて、今後の進む道を決めたという感覚でしたね。

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22年間の人生が、音を立てて崩れ去った。

-高橋さんは、新卒(2期生)でCRAZYに入社されていますが、なぜCRAZYを選んだのですか。

髙橋智也(以下、高橋):CRAZYのことは、Facebookに流れていたイベント告知で、初めて知りました。就職活動は比較的真面目にしていて、とにかく外の世界に出るのが楽しかったので、気づけば早い時期からインターンやイベントなどに参加していました。就活を始めた当初は最初は焦る気持ちもあったのですが、3年生の10月半ばにはもう内定が出ていました。インターネット系のメガベンチャー企業の内定第一号として。不足は何もなくて、ここにしようと心を決めていました。

その後、200〜300名規模のベンチャー企業からも内定をもらって。そんなことをしている12月に、先輩のFacebookを通じてCRAZYの就活イベントが流れてきたんです。1日限定で「就活をぶっ壊せ!」というタイトル…(笑)。面白そうだなと心惹かれました。

その頃のCRAZYは設立1年を過ぎたくらいで、社員も20名いるかどうか。イベントでは社員全員がプレゼンしているのを聞いたけど、ウエディングのウの字も出てきませんでした。むしろ圧倒的に印象に残ったのは、創業者である山川咲の「他人の人生じゃなく、自分の人生を生きる」というメッセージ。

今でも鮮明に思い出せるんですけど、22年間の人生が音を立てて崩れていった感覚がありました。僕は、相手の顔色をうかがって生きてきたような感覚があって。自分がこうしたいからではなく、親や部活の監督の期待を汲み取って、それに応えようとしてきた人生だったので、もう本当にガラガラガラと。

ただ、ウエディングはもちろんサービス業には興味がないし、向いてないと思っていたので、その点では葛藤がありました。大学4年間飲食のアルバイトをしていたけれど、ホールに出る適性がないということで、キッチンとホールの間の仕事をしていたくらいなので(笑)。でも、そんなことよりも、ここで自分の人生をかけたいという気持ちが強くありました。人生の大半の時間を働いて過ごすなら、世間一般的な「普通に良い」人生でなく、自分や世の中の可能性に挑む人生にしたいなと。内定をいただいていた企業もとても素晴らしい会社だったのですが、キャリアのことは考えられても、人生をかけるなんて発想は出てこなかったんです。CRAZYは間違いなく特別でした。

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埋もれた半年間。でも、すべての過去が今につながっていた。

-それぞれに強い思いで決断をして進んできた道。実際に、CRAZYに入社してどうだったのでしょうか。想像通りだったのか、思わぬ困難があったのか。

松田:正直なところ、入社して半年くらいは埋もれてましたね。4年間もガツガツと営業してきんだから、それなりに通用すると思っていたけど、まったく歯が立たなかった。プロデューサーという仕事は、全然シンプルなものじゃなかった。お客さんとのコミュニケーション力も必要だし、プロジェクトを進めるプロセスマネジメント力も必要、それに加えてクリエイティブの力や、結婚式当日に現場を統括するリーダーシップ。あとはもちろん、体力やベンチャーマインドも…。

かなりの覚悟を決めたつもりだったんですけど、足りなかったですね。自由とか幸せとか、そういうものは自分でつくっていくものだということを、本当の意味では分かってなかったんだと思います。今は、自分が生きる責任を全うして貢献するからこそ、大きな自由や幸せを得られるんだと思います。リクルートキャリアの時代は、会社の看板に助けられていたんだと思いました。

-ブレイクスルーに至った転機はなんだったのでしょうか。

松田:別のプロデューサーの案件で、裏方を統括するマネジャーという役割で現場に入ったことがあったんですね。スタッフが1番いい動きができるように指示を出す司令塔のような役割です。もともと先読みして指示を出すことが得意だった上に、運営に携わる大勢のスタッフがどんな表情しているのかを想像することができた。僕の良さが活きる現場・役割に出会えて、貢献できていると実感したことが転機になりました。

僕はもともと、感動をつくりたいと思ってCRAZYに入社したんです。歌をやってきたこともあって、自分の言葉やつくるもので、人の心を動かしたいと思ってきた。マネジャーの仕事では、歌のステージで培われた視野の広さや、歌う中で大切にしてきた、自分の言葉でひとを動かしていくことが、上手く作用したんです。改めて僕の長所はこれなんだと気付いて、これまでやってきたことがすべてつながって、今があるんだなと。

松田さんの独占インタビューはこちら:仕事と趣味を分けない生き方とは?

生き方・あり方を問われる、自分自身との戦い。

-乾さんは、何もない立ち上がったばかりのベンチャーに1期生として入社したわけですが、ギャップはなかったのですか。

乾:僕の場合は、創業して半年のタイミングに入社しているので、例え環境が整っていない部分があっても何とも思いませんでしたね。そういう意味ではギャップはなかったです。ただ想像以上に「生き方・あり方」を問われる毎日でした。「結局どうしたいの?」「目的は何なの?」と、毎回聞かれるんです。

実は僕は、自分の考えをプレゼンするというのが苦手だったんです。ある程度何でも及第点は取れるけど、そこには自分がないということが多くて。それを変えたい気持ちはもちろんあったものの、常に自分自身の考えを求められる中で、変わりきれない自分との戦いがずっと続いてました

ある程度成果を残して褒められたとしても、明確な自分の意思や意図を持っているわけじゃないから、しっくりこなくて自信につながらない状態。学生から社会人になりたてにもかかわらず、誰も何も教えてくれない中で仕事が進んでいくし、振り返って考えている暇がなかったんですね。結婚式が終わっても、終わって良かったという安堵感しか残らない。1年目はそんな風に過ぎていきました。

-今は4年目だとうかがいました。今の状態はどうですか。

乾:今は、ブランドプレゼンターという、一般的に言うと営業のような仕事をしています。自分で目標を立てて、仮説検証できるようになったので、出た成果に対して喜ぶことがやっとでき、今はとても充実した日々を送っています。プロデューサーをやっていた時期は、まだ社会人としてのスキルも足りず、自分の中での手応えを持つことができなくて苦しんだ時間が長かったです。けれど、それも今につながっていると思います。お客さんの本質をつかむための力は、間違いなくプロデューサーをやっていたときについたものです。今は、その学びを活用出来ていて、すごく楽しいですね!

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プロデューサーも転職アドバイザーも、人生に関わる仕事という意味では同じ。

-プロデューサーの仕事は、転職アドバイザーの仕事にも通じるところがあるように思えます。

松田:まさにそうですね。転職アドバイザーを志望する人の多くは、人の人生に関わる仕事がしたいと思っているんです。相手の人生を一緒に振り返って、未来に進んでいくサポートをする。プロデューサーは手段が結婚式というだけで、やっていることは同じ。ただ個人的には、転職サポートよりも難易度が高い仕事なんじゃないかなと思います。

転職の知識やアドバイスのスキルみたいなものでは、太刀打ちできない。人の人生を支える仕事という表現も違う。仕事じゃないんです。人生を変える魔法のような役割であり、責任があると思っていますね。

-どういう人(経験・人柄)ならば、プロデューサーとして活躍できそうでしょうか。

松田:プロデューサーというのは、お客さんとのコミュニケーションはもちろん、プロジェクトを進めるプロセスマネジメント含め多くの力が必要なんですが、それらすべての要素をひとりでカバーするって、難しいと思っています。大袈裟じゃなく100個くらいスキルが要るんじゃないかと思うほど。だから、前職でどんなに大きくて有名な会社で活躍していたといっても、すぐには通用しないことがよく分かるというか。でもみんな、自分の人生を生きたいと思って入社しているから、乗り越えていけるんだろうと思います。質問への回答としては、やはり強い覚悟でしょうか。

乾:そうですね、変われるかどうかでしょうね。みんな最初からできるわけじゃないから。ただ変化のスピードが速いので、自分自身を変化させて、ついていけるかどうか。実際離れていく人もいますが、その人の人生にとって最善の選択をして欲しいので、辞めた後も応援します。残念ですけど、こればかりは一緒に働いてみないと分からないですよね。

それから、プロデューサーに限らず、CRAZYにいる人たちは、ひとりひとり個人の能力が飛び抜けて高いというよりも、組織として力を合わせて物事を進める力が高いと思っていて。自分ひとりで出来ることは小さいと知っているからこそ、周囲の力を借りながら、成長したり物事を実現したりしようと考えているんじゃないかなと思います。

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(END)

◉インタビューを終えて
この日一番感じたことは、本気で生きている人の言葉は胸に届くということ。人間に平等に与えられたものは時間だけ。限られた時間の中で、どれだけ本気で物事と向き合い挑戦してきたのか。そのむき出しの経験だけが、「自分の言葉」を話すための肥やしになるのだと思いました。
私は、「自分の人生を生きる」という大それたことは意識していません。ただ、会社員を経てフリーランスとなり、インタビュー・ライティングの仕事をしている今、聴く・書くという行為は、「私そのもの」だと感じています。言い換えるとそれは、自分の生き方ということなのかもしれません。だからこそ、「転職とか就職ではなく、生き方という選択をしてCRAZYにいる」と語る3名の皆さんのまっすぐな意思に、近しい思いを感じた時間でした。

注*1
・プロデューサーとは:おふたりの描く理想の結婚式のコンセプト・コンテンツ・演出をトータルプロデュースする。
・ディレクターとは:おふたりがプロデューサーとともに描いてきた理想を、結婚式当日の責任者として運営する。
・コンセプターとは:すべてのコンセプトづくりに携わり、おふたりを表現する言葉とストーリーを紡ぐ。
・コーディネーターとは: おふたりの一番近くで寄り添い、不安なく結婚式当日を迎えて頂くためのサポートをする。
・ブランドプレゼンテーターとは:おふたりの大切にしたいことを丁寧に引き出しながら、理想の結婚式を提案する。

伊勢真穂MAHO ISE

リンクアンドモチベーションにおける約8年間の組織人事コンサルティング経験を経て、フリーランスとして活動中。組織変革の知識と現場経験を豊富に持つため、HR領域における取材依頼が多い。「Forbes JAPAN」や「HR2048」といったビジネス系メディアでの執筆を行う。


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