INTERVIEW

「働き方のデザイン」はクリエイティブ業界にこそ。

昼夜問わず働く、ハードな就労環境のイメージが強いクリエイティブ業界。「寝ずに生み出す深夜の発想が大切なのだ」と話す人も少なくない。

株式会社CRAZYのクリエイティブチームは、リーダーの出産やメンバーの新規事業への異動が重なり、働き方の多様性に挑戦している。今回は新しい職種を考案し、実現させた中途社員2名に話を聞いた。入社の経緯、仕事のハードさとカルチャーショック。それらの葛藤をどう乗り越え今に至るのか。

プロフィール
近藤 泰弘(Yasuhiro Kondo)
株式会社CRAZY バックアートディレクター

多摩美術大学美術学部生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻卒業後、笹徳印刷株式会社に入社。主に紙器のデザイン・設計業務を担当した。転職活動のタイミングでCRAZYに出会い、人生が変化する可能性の大きさに惹かれ入社。アートディレクターとして、結婚式や企業イベントの空間創りに従事。デザイン思考を用いて、理想に向かって柔軟に創造し、世の中に価値提供していくことが、自分の仕事であり、生きるということだと考えている。現在はバックアートディレクターとして、CRAZYの様々なものづくりを担当している。

瀬古 奈美(Nami Seko)
株式会社CRAZY デザイナー

京都市立芸術大学美術学部ビジュアルデザイン専攻卒業後、凸版印刷株式会社に入社。自治体やメーカーをクライアントとして、デザインディレクション、企画提案に従事。その中で、利益や権力の追求に偏ったモノづくりに息苦しさを感じ始める。同時期に持病の過眠症「ナルコレプシー」が発覚。デザイナーとして才能を発揮しながら、「ナルコレプシー」と向き合い、自分が本当に”深呼吸”できる生き方をすると決め、2017年3月にCRAZYへ入社。現在はデザイナーとして主にグラフィック制作を担当している。

 

「柔軟な働き方」と「馴染む感覚」

ー二人はCRAZYに中途入社されていますが、どんな出会いでしたか。

瀬古:たまたま情熱大陸*1を見たことですね。その後、塩谷舞さんとCRAZY WEDDING創設者の山川咲の対談記事をFacebookで読みました。塩谷さんは大学時代の先輩で、美大生向けのフリーペーパーを一緒に作っていた時期があったので、親近感を覚えたのかもしれません。

当時私は凸版印刷の地方支社の中で、たくさんの企画を任されていて。来週打つチラシ、銀行の定期預金のポスターなど、何でも作っていました。そんななか他のメンバーとの意識の違いを感じるようになったんです。

なんとなく流れに乗って、無理はせず、長年勤めるだけでいいと感じている雰囲気。大きい会社だからこそ、危機感を持ちづらい環境ではありました。でも私がやりたいと思っていたクリエイティブの仕事は、もっとみんなが切磋琢磨すること。

それを先輩に打ち明けたときに、CRAZYの4周年パーティ『BEYOND』の写真を見せてもらったんです。熱意ある雰囲気で、すぐに惹かれました。その後CRAZY CAFE「 」に行って「オフィスを案内してほしい」とノーアポでお願いをしたんです(笑)。

創業4周年パーティ。コンセプトは「BEYOND」。廃墟ビルを一棟貸し切り、光と闇をテーマに装飾を行いゲストを迎え入れた。

オフィスの中を見た瞬間に「私はここで生きるんだな」と思ったんですよね。自分が見たい世界を一緒に見て、作っていける仲間がいると感覚的に思えたんです。

近藤:わかる、わかる。私も場に馴染む感じがありましたね。

ーすぐに働く決意が決まったのでしょうか。

瀬古:実は前職時代に、持病の過眠症「ナルコレプシー」が発覚していて。CRAZYに入るときも多少なりとも不安はありました。ただメンバーと話をするなかで、「この人たちは病気を受け入れてサポートしてくれる、自分の覚悟と行動次第で道は拓ける」と信じられたんですよ。実際に、子どもと一緒に働くことや大学院に通いながら働くなど柔軟な働き方がCRAZYにはありました。

CRAZYには米国に在住し遠隔ではたらく学生、子連れ出社をするお母さん、子どもを幼稚園に送ってから出社するお父さんなど、人それぞれ多様な働き方をしている。

超先行投資、想像できない未来に賭けた。

ー近藤さんはいかがでしたか。

近藤:私がCRAZYを知ったのは、夏祭りのイベントでしたね。前職は印刷会社のデザイン部で、箱や店頭のポップなど、紙で作るものは何でもデザインしてきました。普通の人が6年くらいかけて学ぶことを、4年ほどで学ばせてもらいました。

そろそろ環境を変えたいと思ったタイミングで、知人にCRAZYを紹介されました。てっきり会社説明会だと思って行ったら「夏祭りイベント」だったんですよ(笑)。結局その1ヵ月半後には入社していました。

ースピード入社ですね。決め手は何でしたか。

近藤:変化度の大きさです。実は入社直前まで別の会社と迷っていたんです。福利厚生や社会的信用の面でもその会社に惹かれていました。ただ入社した先の未来がある程度イメージできてしまったんですよね。反対にCRAZYは、想像を超えるであろう果てしない可能性を感じたんです。

ウェディング以外にもデザインできる領域が増えそうでしたし、超先行投資ですが今後の拡大可能性にかけました。実際に、今年オープンしたクリエイティブスペース「IDO」*2 の立ち上げやBtoB案件を担っているので、予想は当たりましたね。

今年オープンしたクリエイティブスペースの「IDO」。CRAZYの社員数は、近藤が入社したときの60名から増員し、もうすぐ100名に到達する(2018年5月現在)。

キャリアだけでは、勝負できない。

ー入社後はどうでしたか。

近藤:最初は死にかけましたね(笑)。入社した10月は、繁忙期真っ只中だったんです。忙しい環境とカルチャーギャップに耐えるのが大変でした。外国に来たみたいな感じでしたね。

ーどういう違いがあったんですか?

近藤:前職の中では唯一の若い層でしたし、ある程度発言権がありました。ですが新しい環境で、若い人たちがバリバリ働くなかで、中途というのはネームだけで、できないことがたくさんありました。信頼構築もゼロから始めないといけないですし、自分を発揮できない居心地の悪さが正直ずっとありましたね。

ーどんな転機があり乗り越えられたのでしょうか。

近藤:当時は家族やパートナー、上司が諦めないでいてくれて、このままじゃダメだと思ったんです。辞めて転職したら楽になるかもしれないけど、納得感はない。自分の価値を活かしながら、パフォーマンスをだすにはどうしたら良いのか考えました。ふと、アートディレクターという職種の前提を疑ってみたんです。

当時CRAZYのクリエイティブチームには、この職種しかありませんでした。ですが、自分を活かせるポジションを新たに設けたら良いんじゃないかと思ったんです。

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葛藤の先に見えてきた仕事とは。

ー新しい職種を作ったのでしょうか。

近藤:そうなんです。当日のディレクション業務を手放し、ものづくりに集中し、アートディレクターを支えるポジションを作りました。今はバックアートディレクターと呼んでいます。

やらないことを決め、得意なことを率先して担っていく。その住み分けを徹底しました。

ウェディング以外のBtoB案件の1つ。NEWoMan1周年プロモーションイベントをプロデュースした際の写真。窓面には、宛名を書いた封筒を貼付している。「片思い中の君へ」、「仕事で疲れているあなたへ」など、個別性のある宛名の中から、自分らしいものを自由に選んでもらう。どんどん手紙がもらわれていけば、ディスプレイの全体像が見えてくるという仕掛けになっている。詳細はこちら

ーどうやってその解に辿り着いたんですか?

近藤:メンバーと「違うやり方がいいんじゃないか」「違うやり方って何なんだろう? 」と模索しました。自分もチームメンバーも心の中では「今の働き方はなんか違う」と感じていたんですよ。諦めないで一緒に向き合い続けてくれたメンバーに感謝ですね。

この職種を作ったことで、「IDO」も作れましたし、チーム内では「別のポジションを作ってもいいんだ」と仕事への認識が変わっていきましたね。

IDOは「ものづくりを通して『生きる』を考える場所」。コンセプトは「いきること」は「つくること」。「働く」と「生きる」はもちろん、「居住スペース」と「制作スペース」、プロとアマチュア、CRAZY社員と社員ではない方など、さまざまな境界線を曖昧にしている。

瀬古:私もチームメンバーに助けられましたね。最初は慣れない仕事に時間がかかり、眠らずに仕事をしていたんです。すると体調を崩してしまって、周りに役立たずだと思われるんじゃないかと不安な気持ちになりました。

でも勘違いだったと教わりました。私がそんな夜遅くまでがんばって良いものを作ることを、誰一人として求めていなかった。自分ができないなら誰かできる人を探す、できる仕組みを整えることを求めていたのだと知りました。

その後は担当するウェディングの数を月2件に絞って、その分得意なグラフィックの仕事を自分以外の案件も担っています。これが私の価値発揮の仕方で、チームメンバーもそれを認めてくれました。最初は労働時間が大切だと捉えていたけど、しっかりと価値を提供すれば、時間は関係ないんだと腑に落ちましたね。

瀬古が作成した制作物。コンセプトは「サボテンの花」。一見、花は咲かなそうな見た目のサボテンでも必ず花を咲かせるように、誰もが、一つは得意なことや成功できることを表している。また新婦様がこよなく愛する日本の文庫本をモチーフに、挿絵や表紙のイメージを昇華させたデザイン。古ぼけた1ページをイメージさせるようにテクスチャや飾り罫にこだわっている。

近藤:瀬古さんは今までいわゆる大企業のシステムの中で生きてきて、責任感が強く、最初はよく泣いていましたよね。「持病はあるけど、みんなと同じようにできる私でいたい」という想いも強くて。でも「病気を持つ自分のままでできる関わり方がきっとあるはず」という考えにシフトして、第三の解を見つけたような感じですよね。

ー二人とも葛藤をバネに、新しい仕組みを作られたんですね。

瀬古:効率とか個人の頑張りとかそういう話じゃないと実感したんです。前職時代は楽しむ感覚も忘れて、とにかく苦しんでも良いものを出さなきゃいけないと思ってやってきました。お互いの人間性は関係なく、仕事さえ進めばいいって。

世の中的にもクリエイティブな仕事は、夜が遅くてハードで、体力が必要な仕事がほとんどです。でも私は結婚しているし、家庭も大事にしたいので、働き方はとても大切。

互いに補いあって、支えあって、困った時は聞けばいいし、頼ればいい。病気を持っていても、1児の母でも働けるように、今後クリエイティブ業界にも、そうした変革が必要になると思います。

近藤と瀬古がコラボで製作したウェディング。「遊々乱舞」というコンセプトを元に、新郎新婦が人生を謳歌し尽くすことを、ゲスト全員で祝う宴をイメージしている。会場中心には、2人と共に舞いを踊る舞台を設置。艶やかな空気漂う空間に仕上がっている。

ーこれからの目標があれば教えてください。

近藤:私、逆算タイプじゃないんですよ。今が大事。今日が大事。その延長に未来が変わっていくのがいいですね。私にとってものづくりそのものが「生きること」なんです。ものづくりをしながら、その時思う楽しさや嬉しさを感じて生きていきたい。またデザイナーというポジションで、ちゃんと稼げて、社会的地位もあって、こんなにも可能性が広がるということを体現していきたいですね。

瀬古:私は死ぬときに、自分が作った物も含めて、見たことがないものをたくさん見て死にたい。それだけなんですよね。また私は結婚しているし、家庭も大事にしたいので、働き方は今後も模索していきたいです。世の中的にクリエイティブな仕事は、夜が遅くてものすごくハードで、体力が必要な仕事がほとんどです。でも今後はそれも変わっていくと思うんです。病気を持っていても1児の母でも、できるようになっていく。そうした変革が必要になると思います。

 

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*1 情熱大陸
さまざまな業界で活躍する人に密着取材する、毎日放送のドキュメンタリー番組。2016年5月29日放送回にCRAZY WEDDING創設者・山川咲が出演した。

*2 「IDO」
2018年3月19日(月)、ものづくりの拠点である墨田区東駒形にて、新たなものづくりを発信しクリエイターのハブとなる新拠としてオープン。コンセプトは「いきること」は「つくること」。ものづくりを通して『生きる』を考える場所にすべく、クリエイターのものづくりスペース運用等を検討している。
 


※CRAZYは一緒に働く仲間を探しています

編集:高橋 陽子

水田 真綾(@maya_mip)
Maya Mizuta

CRAZY MAGAZINE編集長。立ち上げた後、執筆・編集共に行っている。学生時代から人の世界観を形作る「メンタルモデル」に興味を持ち、「学習する組織」や「U理論」を学んで団体を創設、イベントを多数開催。趣味は、星を見て風を感じて森でお散歩をすること。愛読書はエーリッヒ・フロムの「愛するということ」。

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