2017.06.18

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【前編】30歳からの成長論「志×成長=ソーシャルインパクト」を成立させるロジックとは?

自分の人生を生きようと模索する、すべての人に届けたい。CRAZYのトップが、あらゆる業界のトップを迎えて語り尽くす「TOP LIVE」。記念すべき第1回目の登壇者は、株式会社CRAZY代表取締役社長の森山和彦とは旧知の仲でもある、株式会社マザーハウス副社長の山崎大祐氏。

何者でもなかった学生時代、葛藤を抱えながらも働き尽くしたサラリーマン時代。その後起業に至る背景と、経営者になってから超えた壁。そして、これからやりたいこと。100名が見守る中で語られた、この時代を生き抜く真実の成長論、前編。

イベント実施日2017年5月24日(水)

登壇者
山崎大祐氏(Mr. Daisuke Yamazaki)
株式会社マザーハウス 取締役副社長
慶應義塾大学卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社。日本法人で数少ないエコノミストの1人として活躍し、日本及びアジア経済の分析・調査・研究に従事。在職中から後輩の山口絵理子氏(現・マザーハウス代表取締役)の起業準備を手伝い、2007年3月にゴールドマン・サックス証券を退職。「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念の下、途上国にある素材や人材の可能性に光を当てたものづくりを行う。株式会社マザーハウスの経営への参画を決意し、同年7月に副社長に就任。現在、マーケティング・生産の両サイドを管理。

森山和彦(Kazuhiko Moriyama)
株式会社CRAZY 代表取締役社長
中央大学卒業後、人材教育コンサルティングのベンチャー企業に入社。トップセールスを記録し、大手からベンチャーまで幅広い企業の経営コンサルタントとして活躍。6年半勤めたコンサルティング会社を退職後、1年間の起業準備期間(世界放浪期間)を経て、2012年7月に株式会社CRAZYを創業。CRAZY WEDDINGという今までに無かったウェディングサービスを発表し急成長。経営の第一優先を健康とし、毎日3食手作りの自然食を提供する他、全社員で世界一周旅行を行うなどユニークな経営をしている。

モデレーター
吉田勇佑(Yusuke Yoshida)
株式会社CRAZY HR Team Leader
参考記事「『家族のように共に生きる』のが、究極の新人研修」はこちら

34歳×37歳。真実の言葉だけが交わされた、2時間の幕開け。

山崎大祐氏(以下、山崎氏):みなさん、こんばんは。マザーハウスの副社長をしています、山崎です。マザーハウスという会社は、途上国から世界に通用するブランドをつくっています。「途上国=かわいそう」や「途上国=貧しい」ではなくて、素晴らしい素材や人材に光を当てて、途上国のイメージを変えていきたいと思っています。

僕は前職で、ゴールドマン・サックス証券という会社にいて、エコノミストという仕事をしていたんですが、26歳でマザーハウスをつくって、気づけば11年が経ちました。何度も会社を辞めようと思って踏みとどまって、今に至ります。今夜は、当時の僕と同じくらいの年齢の方もたくさんいらっしゃると思いますので、正直に色んな話をしたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

森山和彦(以下、森山):本日はようこそ、両国までお越しいただきありがとうございます。僕自身は、CRAZYを創業して4年10か月経つんですが、その前は、人材教育コンサルティングのベンチャー企業で、かなりのハードワークをしていました。29歳のときに会社を辞めて、CRAZYを創業して、今34歳。20代の駆け抜け方は、大祐さんとはまた違っているので、そのあたりも話せたらなと思っています。

吉田勇佑(以下、吉田):モデレーターを務めます、CRAZYの吉田です。本日のテーマ「30歳からの成長論」ですが、そこに至る前段階「20代をどんな風に過ごしていたのか」。お二人の学生時代のお話から聞いていけたらと思います。

学生時代。等身大の自分で生きる。

山崎氏:僕は、物理の研究者になりたいと思っていたんですよ。なので、大学は物理学科ばかりを受験していましたが、別枠としてメディア系で唯一記念受験した、慶應義塾大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)に進学することになったんですね。

そもそもなぜSFCを受験したかというと、小学4年生の頃にベルリンの壁が崩壊する映像を見たんです。大衆が世界を変えるエネルギーというものを初めて感じて、こんな映像を撮れるようになれたらいいなと思っていた気持ちを思い出して、せっかくだからと受験しました。

大学入学後はドキュメンタリー撮影に没頭していて、当時途上国だったベトナムに、ストリートチルドレンを撮りに行ったんです。言い方は悪いですが、かわいそうな子供たちがたくさん撮れると思っていました。ですが、かわいそうな映像は一つも撮れなかった。ストリートチルドレンは溢れていたけど、みんな元気なんです。

一番衝撃的だったのは「夢は何ですか?」という質問に「サッカー選手になりたいんだ」とか「先生になること」とか、目を輝かせて語ってくれたことでした。豊かさはお金では計れないことを知りました。

そして、ベトナムから帰国後、アジア金融危機の研究を始めたんです。というのも、ベトナムで会った子供たちは夢を語ってくれたけど、金融危機が起これば、人の夢なんて全て流されてしまうわけで。

それっておかしいなと思った。一方で、富む人はどんどん富む社会がある現実にも、納得がいかなかった。僕自身、母子家庭で経済的に厳しい思いを知っていたので、重ね合せる部分もあったようにも思います。

金融の勉強をするにつれ、金融業界そのものへの問題意識と不満が膨らむ一方でしたが、ならばむしろ、ど真ん中に進んでやろうと思って、ゴールドマン・サックス証券への就職を決めました。

森山:僕は「斜めな人間」でしたね。誤解を恐れずに言うと、思いやりとか気持ち悪いと思っていました。ロジックが大好きだったので、基本的に感情的な悩みがない学生時代だった。就活もちょろいなと思っていて、実際にグループワークなんて参加しても落ちなかったんですよね。

今思えば、本当ナメた学生時代でしたね(笑)ちなみに、就活では成長できるかどうかだけを基準にしていました。大手からベンチャーまで色々な会社を受けて、最終的に、当時20名ほどのベンチャー企業へ。新卒1期生として就職をしました。

仕事人生のはじまり。
Work Work Workの先につかんだもの。

吉田:就職してからのことを聞かせてください。20代、どんな働きぶりだったんでしょうか。

山崎氏:僕のゴールドマン・サックスでの仕事ぶりはというと、全くついていけませんでした。そもそも英語が堪能な人しかいない会社なんですけど、僕はTOEIC600点くらいで入社しているので、会話が理解できないレベル。

会社の電話が鳴るのも怖かったですね。車の中で毎日泣いてました。でも4年間やり切って、面白さを感じられるところまで辿り着いた。それでもやっぱり、自分がやりたいこととは違うなという確証を持てたことは、良かったと思っています。

森山:僕は、ブツブツ言いながらも「絶対価値」を出したいと、毎日深夜まで働いてましたね。脇目もふらず、ただ一番になりたかった。営業でトップになるとかそういうことじゃなくて、何事においても、僕という人間を介した仕事であれば全て、一番にしたいとだけ考えていました。でも、労働時間からも分かるように、外を見ることが本当に少ない20代でした。

実は、入社した当初は起業を考えていたので、3年以内に辞めようと思っていました。でも最終的には6年半働いて、突き通したなと思えるところまで、やったと思います。

ちなみに、もっと活躍したいのに仕事が全然面白くないなと鬱々としていた2年目の頃に、同期からある言葉をもらったんです。「森ちゃん、色々あるかもしれないけど、ここにいる内は伝説をつくろうよ」。あぁ僕は間違ってたんだなと思いましたね。辞める辞めないは本人の勝手だけど、少なくとも今、僕の身体はここにある。なのに、何をしてたんだろうと思いました。

そこで僕は、斜めに見ていた自分を変えたんです。何か問題だと思うことがあれば、それを変える働きかけをする。批判じゃなく、問題を自分の真正面で抱えて、正面突破する。これで、僕は変われましたね。伝説をつくるのが楽しくなって、仕事も楽しくなっていきました。

キャリアチェンジ。
人生が大きく変わる瞬間は、静かに訪れた。

吉田:なるほど。それでは、いよいよ30歳が見えてくる頃。キャリアチェンジのタイミングです。何が後押しになって、次の道に進んで行ったんでしょうか。

山崎氏:当時ライブドアの社長だった堀江貴文さんと出会って、固定観念にとらわれない経営を知ったこと。志を持って働くことの楽しさを、マザーハウスのみんなと議論する中で感じたこと。何百億というビジネスをしてきたつもりが、1個1万円のバッグが売れない現実に直面したこと。次に進んだ理由は様々あります。ですがやはり「知らなかった」ことですね。

僕は会社を辞めてから初めて、あれだけの給料をもらう大変さを知ったし、ビジネスをつくる難しさも知りました。会社の名前で仕事をしていたことすら分かっていなかった。でも今の時代って、調べたら大抵のことは分かってしまう。知りすぎることの弊害ってあると思いますね。僕の場合は、知らなかったからできたことなのかなと思います。

森山:僕はコンサルの仕事を通じて、たくさんの経営者と出会ったんですが、本当に社会を良くしたいと考えている人は少なくて、こういう人たちを相手にするのではなくて、本当に社会を変えたい人たちを相手にしないと自分の命を使うことがもったいないなと思ってしまいました。そして、今で言うところのソーシャルイノベーションみたいなことが必要なんじゃないかと思い始めたときに「私たちはどこへ向かっているのか?」という問いによって、僕は変わったんです。

また、シンプルなことなんですけど、楽しく生きるって大事だなとも思ったんですね。最終的に僕の場合は、ベッドサイドで本を読んでいるときに「地球が喜ぶ志事がしたい」というインスピレーションが降ってきたことから、CRAZYが始まりました。

山崎氏:楽しいという話はとても大切ですね。僕は、山口(山口絵理子氏。現・マザーハウス代表取締役)がいなかったら、ここにはいないと思うんです。もしかしたら会社も辞めていなかったかもしれない。

僕は、0から1をつくるという意味でのチャレンジャーじゃない。問題意識や怒りは持ち続けていたけど、一歩踏み出せない人間だった。山口が、僕にはない突破力でどんどん進んでいく姿を見て、彼女と一緒なら何かできるかもしれないと思った。そして何より、楽しそうだなと思えたからなんですよね。

森山:僕は、これからの時代、人間性こそが幸せのキーになると思っています。これまでは、日本社会そのものの成長がみんなにとってのビジョンそのものだった。つまり、高度経済成長期を信じることで、生産性を上げることが、幸せにつながっていたんです。でも、これからはそうではない。自ら何が幸せなのを考え、価値を生み出さないといけない時代においては、結局、楽しさを自分で生み出せるのかどうか、なんですよね。

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山崎さんと森山さんは共に
「志が高い、社会起業家」。

ですがそれ以上に、おふたりに共通していたのは、葛藤を繰り返しながら得た、借りものではない「哲学」があることでした。マザーハウス・CRAZYそれぞれの在り方には、おふたりの人生そのものが表れている、そう感じました。

※【後編】30歳からの成長論「志×成長=ソーシャルインパクト」を成立させるロジックとは?はこちら。

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伊勢真穂 MAHO ISE

リンクアンドモチベーションにおける約8年間の組織人事コンサルティング経験を経て、フリーランスとして活動中。組織変革の知識と現場経験を豊富に持つため、HR領域における取材依頼が多い。「Forbes JAPAN」や「HR2048」といったビジネス系メディアでの執筆を行う。


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