2016.12.15

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女性のキャリア特集〜「退職の決断」とこれまでの人生〜

何かを決断するには、痛みを伴うこともあるでしょう。その痛みを超えて、向き合い、望んでいる道を選べる人は、逞しくて、潔くて、美しい。

今回の、女性の働き方に焦点をあててお送りする“ 女性のキャリア特集 ”は、2016年7月に株式会社CRAZYを退職した、高橋陽子さん。

愛媛県で公務員としてまちづくりの分野に携わり、CRAZY WEDDINGで結婚式を挙げたことをきっかけにCRAZYヘ転職。「幸せな家族を増やしたい」「まちを好きになってほしい」という想いで多くの結婚式をプロデュースしたのち、退職を決断されました。その決断には、どんな想いがあったのでしょうか。

コンセプトが二人の関係を変えてくれた

ー 陽子さんはCRAZY WEEDINGで結婚式を挙げられましたね。CRAZYとの最初の出会いはなんだったのでしょうか。

陽子さん:実は大学時代に、CRAZYの社長である森山とサークルが一緒だったんです。だから会社を起こしたことや、オーダーメイドの結婚式を作っているということは以前から知っていて。ちょうど自分の結婚が決まったときに連絡をし、愛媛で式をあげることにしたんです。

私は高校生の時から、愛媛で一生を過ごす!と思っていたくらい、地元・愛媛が大好きで。「まちを好きになってほしい」という想いも、私自身の地元を愛する気持ちからきています。

ー ちなみに結婚式のコンセプトは「OVER THE BORDER」ですが、そこにはどんな意味があるのですか。

陽子さん:OVER THE BORDERとは、私たち夫婦が、“ お互いにまっすぐ向き合って壁を乗り越えていく・チャレンジングな人生を歩む “という意味合いがあります。

私も旦那も、こうだ!と思ったら譲れない性格なのですが、このコンセプトをもらうまでの私は、喧嘩したくないという理由で思っていることを伝えず、殻に閉じこもりがちでした。

一方旦那は、言いたいことを言い合えてこそ良い関係になれると思っているから、思っていることを言わない私のことが理解できなかったそう。でもOVER THE BORDERというコンセプトをもらったことで、お互いを理解しようと向き合い、ちゃんと話す様になったんです。

ー そんな変化があったんですね。

陽子さん:遠慮して我慢し合う関係から、話し合って進んでいく関係に導いてくれたのが、このOVER THE BORDERというコンセプトなんです。このコンセプトがあるから、今の関係があると思っています。

「幸せな家族をつくりたい」

ー その後陽子さんは愛媛での公務員生活に終わりを告げて上京し、CRAZY WEDDINGのプロデューサーとして、今度は自分が人の人生や結婚と向き合う立場になったんですよね。

陽子さん:結婚式を挙げたことで、自分の人生を生きよう!と、チャレンジングする覚悟ができたんですよね。

当時は、広報の部署で「まちを好きになってほしい」という想いで仕事に熱中していました。その広報紙を見たCRAZYの社長である森山から声をかけてもらったんです。

「いつか陽子と一緒に働けたらと思ってるんだよね」と。実際に自分の結婚式をつくるプロセスで、プロデューサーは素晴らしい仕事だと感じていたこともあり、嬉しいお誘いでした。

ただ、CRAZYで働くということは、東京に上京するということ。家族の反対があったのも事実です。ですが最終的には「幸せな家族を増やしたい」「まちを好きになってほしい」という想いから、いつか必ず愛媛にCRAZY WEDDINGを持ち帰るという覚悟で、入社しました。

入社後は、大好きな土地や家族と離れている寂しさはあるものの、プロデューサーとして、家族が誕生する瞬間を作り出せることが本当に幸せな毎日でしたね。

自分の人生を、自分で選ぶ

ー 陽子さんは大阪支社*1のプロデューサーとして立ち上げにも関わっていらっしゃいましたよね。着々と、愛媛支社立ち上げまでの経験を積まれておられる印象でした。ですが、そんな矢先の「退職」という選択はなぜでしょうか。

陽子さん:そうですね、実際はすぐにできるものではなく、忙しく大変な毎日を送っていました。そんな中で、小さい頃からまるで母親のように私を育ててくれていた、大好きな祖母の体調がどんどん悪くなっていたんです。そして母は毎日介護でへとへとになっていって……。

愛媛を離れるという選択は自分で決断したことだけど、母一人に介護を任せてしまっていることや、もしかすると、“ 祖母とは今しか一緒にいられないかもしれない ”ということを思うと、いてもたってもいられなくなりました。私自身の「幸せな家族を増やしたい」という想いの通り、大切なものだけを見極めてそれを先送りしない人生を送ろうと思えたんです。

大切なおばあちゃんとのツーショット。認知症にかかっていたため、陽子さんが誰かは分かっていないけれど「よう来たね」と言ってにっこり笑い、帰る時には「気をつけておかえりよ」と、見えなくなるまで手を振ってくれる人柄が大好きだったという。

ー そうだったんですね……。

陽子さん:離れてみたからこそ今まで以上に、家族を大切にしていきたいと思いました。

ー 決断するまでに、きっとたくさんのことを悩まれたのだろうと思います。今こうして涙ながらに強く言葉にできている陽子さんをみると、自分で人生を選ぶということを考えさせられますね。それは決して生半可な気持ちではできないんだな、と。

陽子さん:実際に決断するまでは、もしかしてこれは逃げなのかもしれないとたくさん葛藤しました。家族に反対されてまで選んだ上京なのに、やりきらずに帰ってもいいんだろうかとか。愛媛で立ち上げるだけのビジネス力のない自分がすごく悔しくもありました。

でも、大切なものをきちんと見極めて、それを先送りにするのではなく、今、大切にしたかった。私にとってはその大切にしたいものが「家族」だったから、退職して愛媛に戻って働くことを選びました。

そして自分の人生と真に向き合ったからこそ、やっぱり私はこれを大切にして生きていきたいんだ!と、またひとつ想いに確信を持ちました。公務員のときもプロデューサーのときも今も「幸せな家族を増やしたい」「まちを好きになってほしい」という想いは変わりません。手段が変わっただけ。このときの決断が「自分の人生を自分で選んで生きている」という自信をくれたと思っています。

CRAZY WEDDINGのプロデューサーチーム。

大切な場所で、大切にしたいライフスタイルを築きながら、仕事をする

ー 今はどのような生活を送っているのでしょうか。

陽子さん:フリーランスとして編集・ライターの仕事をしています。特に、まちの魅力を発信する記事を作成しています。今は仕事になるかどうか分からないとしても、いつか「おばあちゃんの台所」を感じるような、ふるさとの料理や人を紹介する本を出したくて、取材することもあります(笑)。

生活面でも、今まで以上に丁寧に生きている実感がありますね。母が育てた野菜で料理をしたり、地元の季節行事に参加したり、何気ない毎日ですがとても豊かで幸せです。

私は愛媛というこの土地を拠点に、新しい女性の働き方のロールモデルになれたらと思っています。大切な場所で、大切にしたいライフスタイルを築きながら、仕事をする。これって本当に幸せなことだから。

涙ながらにたくさんの想いを語ってくれた陽子さん。その涙には、葛藤を幾度となく乗り越えながら、自分の人生を選んできた人特有の強さが見えました。それは、美しさともいえるかもしれません。迷う時には「大切なものはなんだろう?」と自問自答し、それを見極めたのなら先送りはしないで、大切にできる道を選ぶ。その勇気を陽子さんの人生から学ばせていただいたような気がします。

*1 大阪支社

CRAZY WEDDINGの2店舗目。

*2 GALLELY WEDDING

伝統として行われてきたことや、一般的に大切とされていることではなく、ふたりが大切にしたいことだけを大切にする結婚式。2016年からスタートしたCRAZYの新規事業である。


※CRAZYは共に働く仲間を求めています

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水玉綾(@maya_mip)AYA MIZUTAMA

CRAZY MAGAZINE編集長。フリーの編集者・ライター。HR領域の取材記事を中心に、媒体は「未来を変えるプロジェクト」「新R25」「PR Table Community」「BizHint」「FastGrow」等。三度の飯より愛犬が好きWRITER’S ARTICLES


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