2018年 5月21日
一人の登山家がその輝かしい人生に幕を閉じました。
登山家 栗城史多(くりきのぶかず)さんです。
関係者の皆様や、ご家族の皆様には謹んでお悔やみを申し上げます。
その悲報から数ヶ月。オーダーメイドウェディングのブランドを持つCRAZYが追悼ギャラリー「栗城史多は、誰?」を開催しました。
本記事では、追悼ギャラリーのクリエイティブディレクターを務めた林氏におこなった取材により見えてきた、CRAZYの考える「死」という節目の扱い方をお伝えできればと思います。
目次
- – きっかけはマネージャーの小林さんから
- – 本人がいない中で、“栗城らしさ”を表現するために
- – “周りからの声”を元に創られた、50個の展示台ギャラリー
- – 追悼式の本来の意味とは?
- – 「死」という節目を祝うとは、残された人のためなのかもしれない
– きっかけはマネージャーの小林さんから
CRAZYに追悼式を依頼したのは、栗城氏のマネージャーである小林幸子さんでした。栗城氏が亡くなってすぐ、支援者の方々に向けて何かしらの場を設けたいと思い立ち、経営者の知人を通じて相談を持ちかけました。
初めての打ち合わせでの様子を、林氏は「まだ現実を受け入れることに難しさを感じているように伏し目がちだった」といいます。
「ただの偲ぶ会にはしたくない。栗城らしい追悼式を。」
小林さんがその時伝えた言葉です。口から溢れでたその想いを元に、プロジェクトは始まりました。
– 本人がいない中で、“栗城らしさ”を表現するために
新郎新婦の本音を聞き出すことで結婚式を作って来たCRAZYにとって、話を聞きたい本人がいない中で追悼式をプロデュースすることは新たなチャレンジでした。
林氏は、「追悼式といえばすぐに思いつくような、偉大さを物語る新聞のくりぬきや、愛用していたグッズ、好きだったお菓子などでは、人生を全て語ることはできません。さらにいえば、そういう偏った部分を勝手に切り取ってしまうことで、不必要に美化してしまったり、栗城さんはこういう人でしたという結論を与えてしまってはならない」と考え、表現方法を慎重に検討していきました。
何度目かの打ち合わせで小林さんから出た「栗城って全然すごくないんです」ということばが考えを進めるヒントになりました。
多くの人からすれば偉大な冒険家だとしても、一番近くにいた小林さんからすれば“普通の人”だったのです。
その言葉をきっかけに、林氏の中でコンセプトが決まりました。「栗城史多という人を表現するためには、本人から発せられた言葉ではなく、関わっていた人から彼へ向けられた言葉を集めることで、その輪郭を明確にすることにした。」と林氏はいいます。
– “周りからの声”を元に創られた、50個の展示台ギャラリー
そこから、プランナーやライターを含むプロデュースチームは、期間が3ヶ月と短いなか「栗城氏があなたにとってどんな存在だったか?」を親御様はもちろん、中には、地元の先輩やスポンサーに到るまで、なるべく多くの方にインタビューを行うことにしました。時には北海道まで出向きながら、生の声を聞くことを大切にしました。林氏いわく、それは「一つ一つの言葉の本来の意味が失われないように、慎重に言葉を編集する」作業でした。
こうして抽出した栗城氏以外の方が栗城氏を語る言葉が書かれた50個の展示台を並べて、メインブースのギャラリーが完成しました。
当日は多くの来場者が訪れ、それぞれのスピードで、それぞれの気持ちを重ねながらギャラリーを見て回りました。
展示の一番最後には、来場者が好きに言葉を書き込める台が用意されていました。「この場所に訪れた一人一人もまた、栗城氏の人生を表現する一つとなるように置いた」と林氏は語ります。
– 追悼式の本来の意味とは?
こうして無事開催に至った追悼ギャラリーでしたが、このプロデュースを通して考えた追悼式の意味、そして死との向き合い方について、林氏は以下のように話してくれました。
「 追悼式をただの“終わり”にはしたくありませんでした。本来、人生の節目というものは、大きな変化によって、改めて自分の人生を考える機会になっています。それならば、「死」という節目もそうできるのではないかと。来場者が悲しみにくれるだけではなく、そこから何かを感じ、自分の人生について思考できる場にすることが、一番の供養になるのではないでしょうか。」
様々な関係者から集めた言葉のギャラリーは、来場者が感情移入し、栗城氏の人生と自分の人生とを重ねて考えるきっかけとして生み出されたものでした。
– 「死」という節目を祝うとは、残された人のためなのかもしれない
大切な方が亡くなることで感じる苦しみは筆舌し尽くしがたいものがあり、時に、過去の思い出や、悲しみ、後悔の念は残された人の時を止めてしまうことがあります。
CRAZYが今回プロデュースした追悼式は、そういう方々に優しく「もう、前に進んでいんだよ」という合図を送ってくれる機会になったのではないでしょうか。
インタビューを通して、「死」という機会を大げさにではなく、ただありのままに受け入れ、自らの人生を考えるきっかけとするという捉え方を学ぶことができました。
栗城史多(くりきのぶかず)/ 1982年北海道生まれ。登山家。大学山岳部に入部してから登山をはじめ、6大陸の最高峰を登る。その後8,000m峰4座を単独・無酸素登頂。エベレストには登山隊の多い春ではなく、気象条件の厳しい秋に6度、そして天候の安定する春に2度挑戦。見えない山を登る全ての人達と、冒険を共有するインターネット生中継登山を行う。2012年秋のエベレスト西綾で両手・両足・鼻が凍傷になり手の9本の大部分を失うも2014年7月にはブロードピーク8,047mに単独・無酸素で登頂し復帰。復帰後も、エベレストへの飽くなき挑戦を続ける。2018年5月21日。8度目のエベレスト挑戦中に滑落して帰らぬ人となる。享年35歳。
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