2017.06.25

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【後編】30 歳からの成⻑論「志×成⻑=ソーシャルインパクト」を成立させるロジック とは?

自分の人生を生きようと模索する、すべての人に届けたい。CRAZY のトップが、あらゆる業界のトップを迎えて語り尽くす「TOP LIVE」。記念す べき第1回目の登壇者は、株式会社 CRAZY 代表取締役社⻑の森山和彦と旧知の仲である、株式会社マザーハウス副社⻑の山崎大祐氏。

何者でもなかった学生時代、葛藤を抱えながらも働き尽くしたサラリーマン時代。その 後起業に至る背景と、経営者になってから超えた壁。そして、これからやりたいこと。 100 名が見守る中で語られた、この時代を生き抜く真実の成⻑論、後編。

(前編はこちら

イベント実施日 2017年5月24日(水)

登壇者
山崎大祐氏(Mr. Daisuke Yamazaki) 株式会社マザーハウス 取締役副社⻑
慶應義塾大学卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社。日本法人で数少ないエコノ ミストの 1 人として活躍し、日本及びアジア経済の分析・調査・研究に従事。 在職中から後輩の山口絵理子氏(現・マザーハウス代表取締役)の起業準備を手伝い、 2007 年 3 月にゴールドマン・サックス証券を退職。 「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念の下、途上国にある素材や 人材の可能性に光を当てたものづくりを行う。株式会社マザーハウスの経営への参画を 決意し、同年 7 月に副社⻑に就任。現在、マーケティング・生産の両サイドを管理。

森山和彦(Kazuhiko Moriyama) 株式会社 CRAZY 代表取締役社⻑
中央大学卒業後、人材教育コンサルティングのベンチャー企業に入社。トップセールスを記録し、大手からベンチャーまで幅広い企業の経営コンサルタントとして活躍。6 年半勤めたコンサルティング会社を退職後、1 年間の起業準備期間(世界放浪期間) を経て、2012 年 7 月に株式会社 CRAZY を創業。CRAZY WEDDING という今までに 無かったウェディングサービスを発表し急成⻑。経営の第一優先を健康とし、毎日 3 食手作りの自然食を提供する他、全社員で世界一周旅行を行うなどユニークな経営をし ている。

モデレーター
吉田勇佑(Yusuke Yoshida) 株式会社 CRAZY HR Team Leader

34 歳×37 歳。志だけでは走り続けることはできない。

吉田勇佑(以下、吉田):これまでのお話の中で「楽しむ」というキーワードも出てきましたが、おふたりは、楽しく働く上で必要な力ってなんだと思いますか。

森山和彦(以下、森山):直接的な質問の答えではないかもしれませんが、僕が好きな本の「LIFE SHIFT」にも書いてありますけど、特定の力というよりはそもそもの「能力」ですよね。多くの人が「志」があれば起業できる・仕事ができるみたいなことを言いますが 、事実としては、生きていくためには能力が必要です。志だけがある状態って、本当に疲れるものです。

例えば、志を持っているように見えるかもしれない僕が、楽しそうに生きているとします。一方で、会社員の A さんは、鬱々として、毎日やらされ仕事をしているとします。 でも、僕はそんな A さんのことも全肯定したい。志がなければダメな訳じゃない。

なぜかと言うと、鬱々としていてもやらされ仕事であっても、生産性が伸びたり能力が上がっているならば、それは前に進んでいるということだから。どうしようもないのは、文句ばっかり言って能力を高める努力もせずに、楽しむ努力もしてない人です。

山崎大祐氏(以下、山崎氏):今、森ちゃんの話を聞きながら思い出したんだけど、マザーハウスを立ち上げたときの生産性は、まぁひどかったですね。その上で、僕は「段階論」ってあると思うんです。というのも、最初はやっぱり、志とか想いで起業するわけですよ。

当時 25 歳・26 歳だった僕たちは、バッグのこともよく分かっていなかったし、ものを売ることの大変さもわかっていなかった。だから、最初は大赤字で、ビジネスとしては全然ダメ。でもともかく、想いだけはあったんですね。

なんとかビジネスとして軌道に乗り始めたのが、起業して3〜4 年も後のこと。それまでの期間、何がマザーハウスの存続を助けてくれていたかというと、想いに共感してくれた人たちの存在でした。プロダクトとしての完成度は低かったかもしれないけど、応援する気持ちで買ってくれてたんですよね。

それは本当にありがたかった。その応援がなければ、僕たちは今存在していない。でも裏を返せば、想いに共感して、応援の意味で買ってくださっている間に、ちゃんといいものをつくれるところまで行けるかどうかなんですよね。

20 代から 30 代へ。これまでの延⻑線上ではない、新しい生き方のはじまり。

吉田:20 代と 30 代で、変わったことってありますか?

山崎氏:一番変わったのは「本当にみんなのことを思える ようになってきた」ということ。20 代の頃は、自分の問題意識が強くて、そしてその 問題意識は絶対に正しいんだと思っていたので、みんなを振り回していたんですよね。

忘れもしない 31 歳のとき。世間の注目の高まりとは裏腹に、マザーハウスの経営がとても大変だったんです。工場やお店が必要で、お金がかかるビジネスモデルということもあって、7年目くらいまではほとんど利益が上がらなかった。みんな、想いはあるものの、安い月給でしんどさを抱えながら仕事をしていて。

そんな中、立て続けにメンバーが退職したことをきっかけに、会議になったんですね。表現はよくないですが、会議の場はもう、僕の弾劾裁判ですよね。「もう山崎さんにはついていけません」。さらには 「山崎さんがいる以上、この先また人は辞めると思います」とまで言われて。

僕だって想いを持ってやってきたわけだから、喉元まで反論する言葉が出てくるんです。 でも我慢した。そして、我慢した瞬間、変われた気がしたんですね。あのとき、自分の想いをぶちまけるようなことをしていたら、以前のままだったと思うんです。あの経験が、僕の 30 代のターニングポイントでしたね。

店をつくりお客さんと話すという、大好きだったプレイヤーとしての仕事を、いかにみんなにパスできるのかという考え方に変わった。でも、プレイヤーから経営者への変化は、すごく苦しかった。今までの人生の中で、その変化が一番苦しかったと、今も思います。森ちゃんは苦しくなかった?

森山:CRAZY の場合、経営者になる瞬間に苦しんだのは、僕じゃなく山川咲ですね。 僕は経営が好きだったから、彼女ほどの苦しみはなかったと思います。一方で、創業した 29 歳のタイミングでは、僕も大きな変化を感じました。それまではいっぱい稼いで、 30 代でセミリタイアしようと考えていたこともあったんです。でも、より自分のビジョンが明確になった時に、引退という概念がなくなったんですよね。そもそも働くこと・生きることは分かれていないし、同じになっていく社会だなと感じたんです。死ぬときがすなわち、引退するときなのかなと。

30 代後半。常識にとらわれない「これからの企業のあり方」を、自分たちの手で。

吉田:30 代の後半戦。これからやりたいことってありますか。

森山:社会的なムーブメントをちゃんと起こしたいと思っています。国と企業の垣根をもっと曖昧にしたい。国としてやれないからすべてダメということじゃなくて、企業が できることをもっと拡張すべきだと考えています。国が抱える医療費についてよく問題になりますが、CRAZY では医療費を無料にしたいし、将来的には子供の学費も無料にしたいと思っているんです。国のルールを変えることは難しいけれど、株式会社のルー ルを変えることはそんなに大変じゃない。新しい会社の仕組みをイノベーションしたいなと思うんです。

山崎氏:マザーハウスも同じですね。企業は多国籍になって、自国に属しながら他国の企業に所属しているケースもある。マザーハウスで一番多いのはバングラデシュ人なの で、バングラデシュという国にいながら、僕らの企業に所属しているわけです。そんな中で今僕らがやろうとしているのは、ひとつのコミュニティづくりです。もしバングラ デシュが厳しい状況になったとしても、マザーハウス全体でサポートできる仕組みをつくろうとしています。例えば、ベーシックインカムを導入して年収を保証したり。互助会のような、無利子でお金を貸し付ける仕組みもあります。単なる企業ではなくて、マザーハウスをコミュニティにしたい。

それから、教え合う組織をつくるために、教育機能を会社の中につくろうともしていま す。これからの時代、お金だけではその組織に所属する理由にはならない。最後まで一緒にいる理由があるとしたら、やはり、成⻑・学び・楽しむという価値観だと思うから。 まだまだこれからですけど、全力でやろうと決めていることのひとつです。

嘘偽りのない、真実の成⻑論がここにある。

参加者:改めて、キャリアについてどうお考えでしょうか。

森山:今日の締めくくりにはいい質問ですね。情報過多な社会なので、骨太なキャリア論が存在していないという感覚を持っています。そして「いろんなキャリア論に引っ張 られるな!」とも思っています。今日でも、僕のキャリア論・大祐さんのキャリア論に引っ張られる人もいるかもしれない。でも、同じ人間なんて、一人もいないじゃないで すか。

だから、相手の話を鵜呑みにせずに「共通項はあるのか」「あるとしたら、それが自分の何とリンクするのか」を考えるべきだと思います。踊らされることなく、素通りすることなく。大事なのは、自分にとって本当に重要なキャリア論だなと思ったときに、信じること。

そして、若いときにはやはりファクトを大事にしてほしい。そのためにはまず社会で価値と認識されるレベルまで特定の強みとなるスキルを高めることです。また、これからの時代を考えると、楽しさや価値観・人間性を抜きに成⻑しても、将来幸せになれるのかどうかは分からない。それにもう気づいている世代なのであれば、自分の思う心が躍る道を追求した方がいいとも思います。遠回りしなくもいい。

あと、成⻑を阻害するのは、知ったつもりになることです。人って、自分の耳障りがいいことだけ聞く生き物ですよね。あらゆるもの・あらゆる人のどんな話でも、少し違う角度で捉えられるんじゃないか・自分にプラスになるんじゃないかという感度を持てるかどうか。それはすなわち「無知の知」。知らない人の方が成⻑できると思います。

山崎氏:僕もほぼ同じ。そこにひとつだけ付け加えるとすると「Why」ですね。Why を突き詰めて欲しいんですよ。⻑い仕事人生を考えれば、常々社会的ミッションに基づいた仕事ができるとは限らない。でも生きるためにお金は稼がないといけない。だから Why なんです。例えば「なんで今この仕事してるんだろう?」ということを、突き詰 めて欲しいんですよね。

僕は、ゴールドマン・サックス証券にいたときの理由のひとつは、お金を稼ぐことでもありました。母子家庭だったし、稼げば家族を楽にさせられるという気持ちがあった。 それは、誇れるような社会的ミッションではないかもしれない。でもそこには強烈な Why があった。みなさんには、どんなときも必ず「Why」を忘れないで欲しいです。

吉田:第 1 回目の「TOP LIVE」。今日話された言葉たちを僕自身も大切にしたいと思うとともに、今日のこの場が、みなさんにとって新しい視点を得る場・自分を知る場になったなら嬉しいなと思っています。登壇者のおふたりはもちろん、参加者のみなさん も、今日は本当にどうもありがとうございました。

私は、マザーハウス/山崎さんと CRAZY/森山さんに対して、共通性よりも差異が大きい印象を持っていました。それは、育んできたキャリアだけでなく、起業したプロセス も異なる。その上、メディアへの露出の仕方から受ける印象も、随分異なるからです。 誤解を恐れずに表現すると、マザーハウスはソーシャルビジネスの王道で優等生という印象。一方で CRAZY は業界の異端児という印象でした。ですが、ふたりの目指す未来はとても近かった。「これまでの常識にとらわれない、コミュニティをつくる」。 それぞれにオリジナリティのある道を歩みながらも、奇しくも近い未来を目指している。 だからこそ、おふたりに「わかり合えている」という特別な信頼関係が生まれているのだと感じました。

そして、「志」が起点になるけれども、それだけでは走り続けることはできず、「スキル/能力」は絶対に必要ということ。これも 、綺麗事ではない真実だと思います。 「自分は何者か?」「何を成し遂げたいのか?」とは、人生の転機に誰もが自問すること。ですが「自分には何ができるのか?」も問うべきことなのでしょう。働くことはすなわち生きること。ホンモノの言葉で語られた真実の成⻑論が、自分の人 生を模索する誰かの道標になればいいなと思います。

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伊勢真穂 MAHO ISE

リンクアンドモチベーションにおける約8年間の組織人事コンサルティング経験を経て、フリーランスとして活動中。組織変革の知識と現場経験を豊富に持つため、HR領域における取材依頼が多い。「Forbes JAPAN」や「HR2048」といったビジネス系メディアでの執筆を行う。


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