これは、僕の人生の話。はじまりは、まだ14歳だったとき。昼過ぎからごうごうと雨が降り続け、肌寒い夜でした。事業家であった父の仕事の雲行きが、怪しくなっていったのです。
それまでは絵に描いたように仲が良かった家族。仕事を終えて帰宅が22時を超えるとしても、父が帰ってくるのを待って、家族みんなでご飯を食べていました。
休日はテニスやキャッチボール。“ どこにでもいる、仲の良い家族 ”。それが僕にとっては当たり前。
でも、次第に家族のあいだにピリピリとした空気が流れるようになります。父と母の口論が、リビングに響き渡ることも。
「どうしてこんな風になってしまったんだろう」
「なんで父はこんなにもイライラしているんだろう」
今思えば、事業をしていた父は、人一倍のプレッシャーを背負っていたのです。でも、社会のことを知らない僕には、父の気持ちは全くと言っていいほど分かりませんでした。
右にいるのが幼少期の僕
だからあの日の一言は、
売りことばに買いことばだったんです。
“ 「僕ならもっと上手くやれる。
あなたのようには決してならない」”
体がブルブルと震えました。“ 堂々とした父親であってほしかった ”という感情と、自分の口からでた言葉への恐怖。
突き放した日を最後に、親子の関係は冷えきっていきます。それからまる2年以上、表面上の会話しかできないほどに……。
父へのあてつけと、“ 自分ならできる ”という気持ちから、僕は会社をおこします。
家には帰らないで、事務所に寝泊まりをしていました。はじめての受注は、仲間と盛大な飲み会をしましたね。そして、勢いのままに、どんどん仲間を増やしていったのです。
起業当時の僕
そうなると、仕事がもっともっと必要になっていきます。とにかく早く納品できて、とにかく早く現金をかき集めるように。僕は営業に打ち込みました。そして、短納期に短納期が続き、経営は不健全な方向へ。
仕事をすればするほど、苦しくなって、こころもからだも疲弊していく。借金こそないものの、それが意味するものは、明確な“ 事業の失敗 ”でした。
失意の中、一本の連絡がありました。
親友のひとり・吉田勇佑からです。「仕事仲間を探しているのだけど、いい人いないかな?」との相談。
これまでしっかりと聞いたことはなかった、彼が働いている株式会社CRAZYの話を聞くことになりました。まさか、それがこんなにも転機になるとは、その時はまったく思いませんでした。
両国にあるCRAZYオフィス
最初は特に意識もしなかった会社。
でも親友の吉田があまりに楽しそうだったんです。
仕事をすればするほど、周りの仲間が、お客様が、幸せになっていく。そして、ビンビンと伝わってくる“ 自分たちの仕事が好き ”という純粋な気持ち。
当時の僕や、事業、仲間の状態とはかけ離れたものでした。
“ 積み上げてしまったプライドを捨て、ここでゼロからまた始めよう ”
そうして、本来友人を紹介するはずだった僕が、株式会社CRAZYに入社することに。同時に、10年間付き合っていた彼女との結婚を決め、株式会社CRAZYのウェディングサービス「CRAZY WEDDING」で式を挙げることにしました。
ここからがさらなる転機の始まりでした。
結婚式を作るにあたって、CRAZY WEDDINGでは、過去を洗いざらい振り返ります。なぜなら、ふたりらしい人生を表現した「ウェディングコンセプト」をつくるため。
そこでようやく思いだしたのは、冷戦状態だった父との、幼い頃の思い出。本当は仲が良かった事実……。
“ もしも、今日また、新しく人生を始められるとしたら、どういう関係性でありたい? ”
悩んできたからこそ、生まれた問いなのかもしれません。この問いを表現した『Hello New World』が、ウェディングコンセプトに。
そして、迎えた結婚式当日。
結婚式当日の写真
僕は、ウェディングコンセプトに背中を押され、控え室で父に手紙を読みあげました。ずっと罪悪感を感じていたけれど、目を背けていた数年間の気持ち。そう、ひどいことを言ってしまったあの日のこと。
“ なにも言い返してこなかったけれど、本当はどう思っていたのーー ”
おそるおそるの手紙を読み上げたのち、父が親族の挨拶で言ってくれたこと。
“ 大切に思っていたし、大切に思っているよ ”
今まで感じていた申し訳なさと、“ ちゃんと愛されていた ”という実感や、いろんな感情が渦を巻いて、涙となって、スーッと流れていきました。
この日を境に、僕と父との関係は、雪解けへと向かっていったのです。
結婚式当日。涙を噛みしめる僕
僕が結婚式を挙げて感じたのは、
“ 結婚式は、関係性を更新するきっかけになる ”
ということ。
ときに事業の失敗を思いだし、今でも人間関係に恐怖を覚えることはあります。でも、その度に“ 大丈夫だよ ”と、自分に声をかけてあげられるのは、どれだけ時間が経ったとしても、新しい関係性を、今日から始められることを知ったから。父とは今、連絡を取り合うほどの仲になりました。
冷戦状態だった父との和解。そして、疎遠になってしまっていた起業時代の友人と、結婚式を機に再び話せるようになったこと。
冷え切ってしまった関係であっても、結婚式を通して、分かり合えることがある。関係性が良くなることで、人生はさらに豊かになる。この価値を、多くの人に届けていきたいと思います。
“ もしも、今日また、新しく人生を始められるとしたら、どういう関係性でありたい? ”
藤沢和徳 KAZUNORI FUJISAWA
ARアプリ開発会社を3年半経営。16年4月に株式会社CRAZYに入社。人事領域→経営企画室→マーケティングチームリーダー 。結婚式の本質的価値を世の中と考えていきたい。